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学んだことをまとめ、看護について考えていきます。

Practice Makes Perfect.

日本がAustraliaに与えた影響 歴史を考える(1)

海外の医療と看護を勉強するためAustraliaに来ています。

自分の目標に対して、少し遠回りしてしまっているのは事実ですが、前向きに捉え今できることを取り組もうとしています。むしろ、今ではこちらでの暮らしを楽しんでいます。

 

 例えば、住宅街の植木なんてほとんど手入れされずに育ってます(笑) こんなsituationは日本ではほぼないと思います。

良くも悪くも、こちらのテキトーさに関心を抱きます。

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さて、有意義な時間を過ごす一環として、勉強に疲れた時にAustraliaの歴史や文化に関する本を読むようになりました。

 

色々読み進めていくと、“多文化社会”と評されるように様々な示唆に富んだ歴史・文化を持った国であること。

そして残念なことに、良いことだけでなく、かつて日本の犯した行いが大きくAustraliaの国民意識に影響を与えていたこと、これらに衝撃を受けました。

学生時代に世界史を専攻していたものの、お恥ずかしい話Australiaについて知らないことが多くありました。

 

特に、日本とAustraliaの関係を説いた歴史は、あまり知られていないように思います。そこで今回、“日本がAustraliaに影響を与えた3つのこと”に焦点を当て記載したいと思います。

 

 

1)英国意識から独立する一助となった

Australiaはご存知のように、国としてはもともとUnited Kingdom「英国」の植民地から始まり、1901年に建国されました。建国後は、政治はもちろん貿易から国防まで、英国と仲良くしていかなければいけない、言うなれば協力を要請する立場でした。

 

というのも、英国の軍事力に依存しなければ国を維持できなかったからです。そのため、英国のご機嫌を取り自国の交渉力をつける目的で、第一次世界大戦ではヨーロッパにまで参戦した経緯もあります。

 

 また、日本と違い多民族国家です。もともとは囚人が連れて来られて開発が進んだ植民地で、1863年までに約15万人の囚人が移り渡りました。また、1850~1890年代に続いたゴールドラッシュでは多国籍の移民が移り住み、まさに多様なバックグランドを持った人で構成された国でした。

さらに、広大な土地でそれぞれ発展した植民地が統合したため、地方によっても特色が違い、統一したAustraliaのアイデンティティはありませんでした。

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1904年日露戦争以降、日本は太平洋で存在感を出してきます。その後日本は、満州事変を始め軍事力を行使し、ワシントン体制を崩壊させていきます。地理的に英国より近くにあるAustraliaは脅威を覚え始めます。

どのくらい警戒したのかと言うと、国の判断を左右するほどの影響を与えてます。

英国のため海外派兵できるように徴兵制の導入を決めようとした国民投票において、日本の侵略に備え本土の国防が手薄になるという主な理由から、1916年と1917のどちらも否決されたのでした。

 

 またそのような中、Australiaは警戒心からスパイ活動を開始します。

1934年にAustraliaは日本に対して、建前上は貿易の親善大使として、真意は日本の情報収集目的で外相のJohn latham大臣が極東貿易親善使節団として派遣されました。

実は、この外交こそが、英国からの指示でなく自国の判断で主張した最初のものでした。

 

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これら徴兵制の否決と日本への外交の2つは、英国に依存しようとする体制とは異なり、英国意識から離れ独自で情勢判断したものです。

 

(厳密に言うならば、nationalismの形成には英国との一体化、モンロー主義、ANZAC軍の存在、そして白豪主義も外すことはできませんが…)

自分たちのことは自分たちで決めるというnationalismが高まった背景には、皮肉にも日本が関わっていたのですね。

 

 

 

 

ここで私が感じたのは、“自分では気づきにくい遠い場所においても、自分の行いで大きな影響を他者に与えうることがある”という歴史観です。

 

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当時どのくらいの日本政府の官僚たちはAustraliaに与えた影響を知っていたでしょうか。おそらく時代背景からもほとんどの人は注意深く考慮していなかったと思います。まして今のような情報社会でもなく情報操作をされていた国民は、Australiaのことも詳しく知っている人は少なかったでしょう。

 

 今回取り上げた日本の軍事行為の一端は、現団社会においてこの例を代用するのは極端かもしれません。

 

ですがもし百歩譲って

“他者を考えず自分の私欲に着眼して物事を進めた結果”

 

と置き換えたならば、自分の私生活に置き換えても、他人事ではないように感じます。

 

 

自分が意図した行いは(意図しない行いも)、必ず誰かに影響を与えます。きっと遠い場所というのも心理的な距離と言い換えもできそうです。

盲目的にならず、社会情勢や他者への配慮をして意思決定を行う視点も時に必要ということを考えると、身が引き締める思いになります。

 

 

 

 

歴史って現代に生きるヒントがたくさんありとても興味深いですね。

(歴史は専門でないので、有識者の方、間違いがありましたらご指摘ください。)

 

次回、それ以降の影響について記載していきます。